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河南省建材廠の蒸気機関車とバス

 旅のきっかけはレイルNo.69の記事でした。とてもレトロっぽいところをナローのSLが走っています。なかには毛主席万歳のスローガンのことまであって、ぜひ行ってみたいと思うようになりました。

2010年
 成田から北京に飛び、そこから国内線で鄭州へ。
 全日空の北京行きです。富士の上に駿河湾と伊豆半島・・・。
 和食の機内食は”かに御飯”。機内は結構空いていて快適なフライトでした。
 その日は鄭州駅前に泊まり、翌朝・・・

 駅前にはすごい人と車です。こんな都会の町にSLがあるのか心配になってきます。
 タクシーを拾って一日契約。ガイドがいないため鉄道の場所がわかりません。国鉄駅前で聞き込みをするも誰もSLの存在を知らりませんでした。

 ただ、レンガ工場の場所だけはわかりました。
 ・・・ところがレンガ工場に着いても敷地が広大で線路の場所がわかりません。従業員さんにうかがって、ようやく機関区の場所が判明!!
 線路がありました。

 これは機関区前においてあったカブースです。
 機関庫に入るとおじさんが一人で仕事をしていました。
 壁には映画のセットのように昔のスローガンが書いてあります。

 鞍鋼憲法万歳・・・これは近代的な労働基準法の基礎となったものを称えているそうです。
 レイル69号にはこの場所から撮影したカラー写真が掲載されており、私もこのシーンが撮影したいと思ってここを訪れたのでした。

 その後、何度もこの場所からの撮影を試みることになります。
 昔っぽい作業場・・・
 反対側の壁にもスローガンが。

 レトロな感じが最高ですね。
 おじさんに聞くと、列車は間もなくやってくるといいます。その言葉に従って、沿線に移動することにしました。
 ほどなく列車がやってきました。
 でも、列車写真を撮ろうと立っていたのに、私の目の前で機関車だけ解放され・・・
 機関車は側線に入り、貨車だけが直進していきます。
 SLは給炭して
小休止・・・
 それから本線に戻って
 単機で踏切の奥に消えてゆきました
 後を追いかけると、
 その先が土下ろし場でした。
 一両ずつ人力で土砂が下ろされます。
 その間、機関車は注油・・・
 下ろし終わると、列車はまた出発していきました。
 その後、このおじさんはいつも私に親切にしてくれたため撮影の際にはとても助かりました。

 何回か訪問しましたが、彼に最後に会った時、お礼にフォトブックをあげました。
 彼が撮って欲しいといって機関車のランボードに上がったときの写真を表紙にしています。
 今度は走行写真を撮ろうと思い、大橋にやってきました。
 天気も良く、
 ピストン輸送のように
 すぐに列車が帰ってきました。
 レイル誌のとおり、最後尾には3人のブレーキ係の方が乗っていました。
 この日は同行者があったため、半日は観光です。
 有名な少林寺に行ってみました。
  門前には少林寺拳法の学校が数多く建っていました。

 お寺は時代を感じさせる大きなものでしたが、内部はお参りするというよりも、ほとんど物販のお店のようで、一つ買うとさらに高いものを勧めてきます。経済成長と共に宗教を重んじるという精神はあまりなくなってしまったようです。
 二回目の訪問・・・

 ここは機関区に付随した倉庫です。
 私は機関車本体よりも職員やレトロな工場の写真を積極的に撮るようにしています。
 前回に続いて晴れなので、運行も確実!!
 かと、思ったら機関車は入庫中!!
うわっ、今日は休みだ!!
 でも、そのほうが作業風景が撮れて楽しいんですよね。
 前回は二人しかいなかった職員が、この日はたくさんいました。
 なかには新人さんもいて、
 整備の微妙なコツを習っています。
 おっと、修理が終わったようです。これから走るのですね。
 1時間ほどの修理で復活です。
 ありがたいことに作業風景と走行の両方が撮れることに。
 今回の目標は、大橋と毛沢東です。うまくいくでしょうか?
 タクシーに乗ろうとしたら、でんでん太鼓を鳴らした自転車が来ました。
 あの人は何を売っているのですか?と、ガイドに聞くと荷物運搬を請け負う自転車とのことでした。
 大橋では定番の写真をGET。
 再び機関区に戻ると、機関車は給水と
 給炭中でした。
 次の走行は国道の上から撮りました。
 夕方、大橋のところに行くと”ヤオトン”のおじさんと知り合いになりました。

 こちらの入口は家畜小屋で、
 こちらが母屋・・・。
 興味津々、
 中を拝見させていただきました。電気もあるし、地中ならエアコンも要らないのかも。。。
 翌朝は氷点下の冷え込みで
 給水管が凍結。わらを焼いて暖め、ほどなく水が出ました。
 運行前に注油し、
 給炭後に出発です。
 蒸気も上がってきました。
 一便目は大橋で撮り、その後朝食へ。
 途中、すごいバスを発見しました。4軸でサメのような顔をしています。
 
これは定期健診用のバスですね。
 職業健康検査専用体検車と書いてあります。
 中国語は勉強しなくても読めるので便利ですね。

 それにしても、4軸とはすごいバスでした。
 こんどは車で積み込み場へ。
 ここにもレトロな風景が。
 廃墟の写真集ができそうですね。
 元は人車や
 こんな貨車があったのですね。
 現在は倉庫になっていました。
 周囲には黄河の河岸段丘が・・・。
 さて、SLの撮影です。
 この列車にはテレビの取材クルーも乗っており、なぜか我々の目の前で停まったため・・・、
 そのまま乗せてもらい、
 めったに見ない、いや誰も撮っていない粘土運搬車からのC2を撮り・・・、
 国道下のトンネルでは煙にまかれて、

ゴホッ、ゴホッ
 ・・・終点に到着しました。

 とっさの判断で列車に乗ったのは、13時すぎの新幹線とレトロなSLを同時に撮れそうな予感がしたからです。
 予想通り、ほどなく新幹線が通過しました。
 でも、C2を主役としたかったので、新幹線が見えにくくなってしまいましたね。
 列車はまた取材クルーを乗せて出て行きました。
 その後はロケハンをしつつ
 毛主席へ移動。
 栄山でも毛主席語録が残っていましたが、ここも毛主席万歳!というスローガンが残っています。
 ・・・列車が来ました。
 ちょうどここがサミットとなっています。

 毛主席は撮れたのですが、逆光のためカットしました。ベストショットは後から出てきます・・・。
 列車は去っていきました。
 続いて工場に戻ると、ちょうど土下ろし作業をやっていました。
 機関車は給炭をして、
 今日の作業も終わりです。
 最後に貨車を駅に戻すと、
ちょうど夕暮れとなりました。
 夕陽をバックに
 一日が終わりました。
 でもここで職員にお願いし、お酒をご馳走することにして機関庫を開けてもらいました。
 夕闇の庫内を撮るためです。
 夜の機関庫もなかなか良いものです。
 この庫はすっかりお気に入りです。
 最後は職員さんにモデルをお願いし、
 撮影は終了。
 撮影効率の良い一日でした。
 C2は給水場に置いたままですが、
 気温が低いためこんな幻想的な瞬間も。
 帰路はいつも北京経由です。

 鄭州から朝の北京行きCA便に乗り、午後からのCAかNHで成田に戻ります。

 いずれにしても航空券が高いので毎回スターアライアンスの特典航空券を利用しました。
 北京ではスターアライアンスのラウンジが使えるため、このように飲み放題、食べ放題。
 寿司やケーキもあるんですよ。手前のカップはガリです。
 次の訪問時、、、
 こんどは凍結防止用に給水管にはむしろが巻かれていました。
 でも、いやな予感がします。というのも、貨車がなくてフラットカーとガス溶接セットが連結されているということは・・・

 前日に脱線があって、この日はその復旧作業で運休かな???
 その予感は的中しました。
 SLはフラットカーだけを付けて幻想的な風景を進みます。
 私はタクシーで脱線車両を探しましたが、いません。
 ただ、ゴミの山と凍結した冷凍ゴミには魅力を感じました。
 ここで撮りたい!! その思いは後日実現します。
 さらに探してずーっと歩くと、ようやく脱線現場にたどり着きました。
 貨車は程なく復旧し、運転が再開されるようです。
 フラットカーに貨車を付けてプルプッシュで工場に戻ります。
 ここは撮影地裏に建つ、いや掘られたヤオトン。
 昼食はゆっくりとることにして、町のdicosへ。
 田舎でもdicosさえあればカレーライスや照り焼きチキンご飯、ハンバーカーなどが食べられるので有り難いのです。
 これはdicosの前のメリーゴーランドです。
 これはお金を入れると動く遊具ですが、
 なんともユニークでそそられます。
 食後は職員アパートへ
 ここは全部自社のレンガで作ったんだ!

 近所のおじさんが自慢げにそう教えてくれました。
 共同炊事場もあり、
 周囲にもレトロな風景が広がります。
 かなりはがれていますが、正面の屋上には星のマークもあります。
 部屋を見せてくれるというので、中に入ってみました・・・。
 レトロな雰囲気がいいですね。
 紹介してもらったお宅にはご夫婦と小さな女の子が二人いたので、撮った写真は次の訪問時にあげました。
 それにしても良い雰囲気です。ホントは椅子の前に食卓があったのですが、撮影のため、移動してもらいました。
 さて午後の撮影ですが、今日の運行は午前中のみとのことで急遽チャーターをお願いしました。

 終点まで1往復1000元で走ってもらえることになりました。今にして思えば、格安でした。これは鄭州の有名な鉄道専門ガイドの牛さんのおかげです。
 この鉄道には人車がないのでキャブに乗って行きます。
 テンダーファーストは捨て、まっすぐ終点へ。
 そこからところどころで撮影して戻ります。
 ここは有名な毛主席万歳!のポイントです。
 ここは”工業学大慶”です。
 
 日本語だと 工業は大慶に学べ と読み、その昔工業の先進地域であった大慶を手本として近代化を進めようという意味だそうです。
 ここは撮りたかったゴミポイントです。
 世界広しといえどもこれだけのゴミの中を走る列車は珍しいですね。
 なぜここだけこんなにゴミがあるのかというと、この左上にアパートが建っているためです。

 中国の人は自分の位置より低いところにゴミを捨てる習慣があるようで、線路がゴミで埋まると、鉄道の職員がそのゴミを貨車に載せて、別の低い場所で捨てるのです。
 列車はさらに進み、一往復ながらも撮影効率があがります。
 最後はいつもの橋です。なぜ貨車を3両だけにしたのかというと、普段ありえないほどかわいい編成になると思ったからです。

 こうしてみると、プラレールのおもちゃのような編成ですね。
 次の訪問時は雪でした。
 ホテルの部屋が線路側だったため、
 夜行列車の撮影です。
 次から次へと来るので休む暇もありません。
 荷物車を見ると、懐かしい昔を思い出します。
 雪はどんどん降り積もり、明日のSLの運行が気にかかります。
 昨夜の雪を気にしながら、翌朝工場に行ってみると、
 なんと!運行しているといいます。
 しかも庫内には電気がたくさんついています。
 走行写真を撮りに出かける前に、
とりあえず作業風景を撮りました。
 この日は真冬で気温も低く、煙が良く出ています。
 この地でこんなに迫力のある煙を見たのは初めてです。
 お天気は悪いのですが、粘土にはしみ込んでいないようです。
 しかし、SLは跨線橋下で停まってしまいました。
 どうも故障のようです。
 列車は応急修理で工場に戻り、
 またまた私の大好きな修理作業が始まりました。
 SLの修理も
 庫内の作業風景も絵になります。季節と時間によって表情を変えるこの機関庫は何回も写真を撮りましたが、この日のものが一番のお気に入りです。
 作業の結果、
 修理は1時間ほどで終わりました。
 しばらくすると、また運行が始まりました。
 またまた工業学大慶で撮影し、
 列車を見送ります。
 そのままここで待機していると、
 ほどなく折り返しがやってきました。さきほどの反対側には”農業学大寨”と書いてあります。

 工業と対になる、農業は大寨に学べ という言葉ですが、この言葉は日本の教育勅語のように子どもの頃に教え込まれたものだそうです。

 昔はそれで良かったのかもしれませんが、その言葉に出てくる大寨にお嫁に行った女性は、有名な町だからさぞかし近代的なところだろうと思って嫁いだらかなり期待はずれだったという逸話もあるほどです。
 その次はいつもの毛主席で撮影し、
 その返しは、少々見えにくいですがもう一カ所の”農業学大寨”で撮影です。
 夕方からはあられが降ってきました。
 雨が降ると運休のこの地で、雪の中の毛主席万歳!を撮れたのはラッキーでした。
 気温は氷点下なので、貨車の上の皆さんはたいへんです。
 ここの”あられ”は日本のものとは全く違って、まあるくて透明な氷の粒です。これはもしかして、小粒の雹なのかな??
 雪国に暮らしていますが、こんな氷の透明な粒が降ってくることは絶対ありません。
 たいへん珍しい経験でした。
 
 最後は車で先回りして
 雪景色の駅で待ち構えます。
 一面白くなった中のC2は貴重ですね。
 この日の運行はこれで終わりとのことで、例の職員アパートへ。
 いつもと変わりないようですが、寒いせいで人の姿がありません。
 壁面にも黄色い文字でスローガンが書いてあることを発見しました。
 ここはアパートの脇の公衆浴場・・・。今思えば、このとき中に入ってみるべきでした。この扉が開いていたのはこのときが最後になってしまったからです。
 ・・・その後、


 この会社は操業を停止し、上海の不動産会社が土地建物を買い取って工場はつぶされることになりました。
 会社がなくなったのでお風呂屋さんも営業をやめてしまいました。
 ここは以前粘土下ろしを撮ったところです。

 レールの跡も、どこだかわかりません。
 ただ、駅と機関庫は残されていました。
 職員さんにお願いして
 機関庫を開けてもらいました。
 いままでと違い、2台とも保管されていました。こんなに奥までC2が押し込まれていたのは初めてです。
 ただ、2両目のテンダーだけは外です。
 つづいて線路跡に行ってみると倒木が・・・
 土砂崩れもあってかなり荒れています。
 この先には大橋があるので行ってみましょう。
 おっ、ここだけは比較的状態が良いです。
 でも、その先の毛主席万歳!のあたりの掘割区間は土砂が崩れて悲惨な状況になっています。


 
 ・・・この後、線路は撤去されSLも売却されてこの鉄道の歴史に幕が下ろされました。
 最後は黄河観光に出かけて、鄭州旅行を終えました。

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