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ミャンマーのカーヤター(カートレイン)

  初めてミャンマーの地を訪れたのは2000年12月のことでした。インターネットも無い時代のことで、現地で手配したのはヤンゴンのホテルニッコーだけ。あとはガイドや車の手配もしないまま、ほとんど情報も無いままモウラミャインという町を目指しました。
 目的は・・・日野のカートレインです。日本に残る日野のボンネットバスと同じスタイルのトラックが列車に改造されて走っているという雑誌の記事から約半年間の準備期間を経て出発したのでした。
 ホテルニッコーでは既に日本人スタッフは帰宅しており、誰も頼る人がいない中、日本語のできるミャンマー人スタッフが私に日本語ガイドと車を手配してくれました。
 翌朝、その車でモウラミャインを目指し、めでたく「日野のグース」に出会えたのですが、残念ながらほんの少し前に使われなくなっており、ヘッドライトの無い姿しか撮影できませんでしたが、今になってみるととても貴重な記録になりました。。
 その直後、LRBE7はヤンゴンに送られて車体更新されてしまいましたから、このときにしか撮影できなかったものでした。このコーナーでは、バス撮影の合間に撮ったカーヤターをお目にかけます。

 車でホテルを出発すると、珍しい車にたくさん出会いました。日野のボンネットトラックは数え切れず、箱型バスも昭和30年代の日野BD型センターアンダーエンジンの帝国ボディとすれ違うなど、まるでタイムスリップしたかのようでした。

 さらに車を進めると、ヤンゴンとバゴーとの間のレークという町でとうとう日野のボンネットバスと出会ったのです。鉄道のグースに出会う前に、ボンネットバスのグース!?に出会いました。

 これも、今となっては貴重な写真となりました。
 それから時間をかけてモウラミャインの機関区に行き、撮影したのがこの写真です。
 タイヤハウスにはLRBE7の車号が入り、後部は屋根つきの客室になっていました。

2000.12.撮影
 これはまるで現代版の「銀龍号(根室拓殖鉄道)」ではないか、そんなイメージの車両でした。もし、この車両のボンネットが外国製の形をしていたら、興味がわかなかったでしょうが、、、
 普段追いかけている日野のボンネットバスと同じ形だったのではるばる撮りに行ったのです。
 フロントの日野のマークはそのままでしたが、ラジエターキャップの蓋の飾りは鋳物せいの立派なオリジナル品に交換されていました。

 車体側面にはドアがなく、後部から乗り降りするスタイルで、後部のライトも日野のオリジナル品が付いていました。
 日野のグースはLRBE7だけしかいないと知っていましたので、他地区は探しませんでしたが、移動の途中の大きな町で駅に立ち寄ったときは、車両の写真を撮るようにしました。

 これはLRBE9です。

2000.12撮影
 一年後の同車です。塗装が変わりましたね。

 車体が旧タイプで、両側ともドアがなく、後部から出入りするタイプです。

 この車両は、後に車体更新され、このページの下の方に再登場します。
 こちらはLRBE7に代わって、モウラミャイン〜イェ間の普通列車に充当されていたLRBE10です。

 窓が無いタイプで、雨季用にビニールシートが付いていました。
 
 ここはムドン駅で、急行列車と交換です。

 2001年撮影
 上の写真の一年後には塗装が変更されていました。
 これもムドン駅ですが、この日は交換がありませんでした。
 ムドンは旧日本兵の収容所があった町で、「ビルマの竪琴」にも登場します。
 帰還の際には1日一万人の日本兵がこの駅からモウラミャインに列車で移動し、モウラミャイン港から日本に向けて出発したといいます。
 今では、「1日一万人」などとはとても考えられないのどかな駅です。
 バゴー機関区のLRBE36です。

 DLのようなスタイルですね。

2005.12.
 モウラミャインのLRBE7の後ろにいたLRBE37です。こちらは車体側面にドアがありました。

2000.12.
 LRBE49です。日本型DCが入る前は、ミャンマーで鉄道を撮ることは稀で、わざわざ列車を待ってまで撮影することはありませんでした。

 この写真は・・・、推測するに、ヤンゴン〜マンダレーを車で移動中に国道と並行している線路で列車と出会ったので、付近の踏み切りに先回りして撮影したものと思われます。

2004.12.
 こちらはヤンゴンで撮影したLRBE50です。

2003.
 これも街中の踏切で列車に引っかかり、慌てて撮影した一枚。
 LRBE56です。場所はピンマナ〜メィッティーラあたりです。
 当時はネーピードーの町は建設前で、高速道路も未開通でした。そのため、鉄道と並行している国道を延々走るのですが、ヤンゴンを朝6時に出発しても、たどり着けるのはメィッティーラまででした。

2002.
 スタイルの整ったLRBE57です。前後とも同じ顔をしていますが、こちらはワイパーがあり、、、
 こちらにはカウキャッチャーがあります。。。
 どちらが前でしょう??

2003.12.
 これは、私が出会ったなかでは、最もバスに近いスタイルのLRBE64です。ラジエターグリルがあるので、こちらが前です。

 冬になるとピンマナではサトウキビ列車でSLが使われていました。珍しくそのSLを撮ろうかと、駅で20分ほど待っていたら、偶然来た列車です。

2001.12.
 かなり洗練されたスタイルのLRBE66です。バゴーでの撮影です。

2002.12.
 こちらは後部。

 当時のバゴー機関区にはSLがたくさんいたので、ヤンゴンからマンダレーに向かう途中で立ち寄って、よく撮ったのですがそのときについでに撮ったものです。

 SLだけでなく、その辺にいたものは全て撮っておいて正解でした。
 一番違いなのに、こちらは後部が切妻型です。

JR北海道のリゾートトレインを意識したかのようなデザインが秀逸でした。

2001.
 これはLRBE66が走行しているところ。

 並行している国道からの撮影です。

2006.8.
 これも並行して走る国道から撮影したもの。

 後ろのお寺の形から、ピュンタザ〜ニャンレビンの中間だとわかります。

2002.
 こちらはヤンゴン市内で撮影したDMU302です。

2007.撮影

最期のLRBE (2015.12.と2016.8.撮影)
 マダウ支線で活躍したLRBE60です。上の56とよく似ていますね。

 ミャンマーでの撮影は、バスが主体で鉄道はついでの際にしか撮っていませんでしたが、日本から大量のDCが導入されたことによって危機感を持ち、はじめて鉄道を目的として訪問しました。

 ミャンマー訪問は2000年からですが、2015年12月になって、初めてミャンマーで列車に乗りました。というか、現在まで、カーヤターの列車にしか乗ったことのない私です。
 こちらはLRBE50です。塗装以外は、上の49,50とほぼ同じ形ですね。
 こちらはバゴー〜ニャンカーシーの運用に入るLRBE9です。このページの上の方の9から車体更新が行われてこのスタイルになりました。

 側面に2段サッシが並ぶ姿は、路線バスに似ていますね。このページの最初のLRBE7が「銀龍号」なら、こちらは「かもめ号」に似ています。

 走行区間も時間もわからないまま、バゴーとニャンレビンを訪れ、数日間で撮影しましたが、今は全て3セクのレールバスやJR北海道のキハ48になってしまいましたので、貴重な記録になりました。
 バゴー機関区に戻ってきたLRBE66です。上の青塗装時代と比べると、正面窓画に分割になっており、印象が異なります。

 しかし、中二階のスーパーハイデッカーバスの二分割窓と一緒で、一枚モノのガラスよりも修理費が安くなるという利点がありますから、こちらのほうが理にかなっています。
 2016.8.

 ・・・カーヤターを撮影したのは、これが最後でした。
 できれば、線路から離れた位置で真横から狙いたかったのです。
 そうすれば、二軸客車のかわいらしさが引き立つと考えたからです。
 専用車で、ピュンタザからニャンレビンの先まで追いかけて撮影しました。

 カーヤターはゆっくりなので、ロケハンをしていなくても余裕で撮影ができました。
 雨季のミャンマーは川も田んぼも水量が多く、乾季とは別世界です。
 こんなのどかな列車がなくなるというのは残念ですが、
 その姿をまぶたに焼き付けて、列車を見送りました。

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