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〜バスターミナルものがたり〜

そして誰もいなくなった

 岩手県交通の江刺バスターミナルを訪れたのは95年のことだった・・・

 岩手県交通のボンネットバス『弁慶号』と『まきば号』が目的。
 近くの『藤原の里』でバスの日イベントがあったのだ。
 この人たちは・・・

 どこから来て・・・

 どこへ行くのだろう?

 バスターミナルには、入れ替わり、立ちかわりお客さんがバス待ちをしている姿があった。
 そしいてまた、売店も・・・
 ゴムひもからカラーボールまで、無いものはないくらいたくさんのものを売っていた・・・
 電話だけでも2台・・・
 カード電話の他に、『通話料3分10円』と書かれた黒電話までがあった。まだ、携帯電話は無かった。
 カウンター下の陳列ケースには・・・
おばさんが折ったと思われる折り紙の作品が・・・
 ○○電気店寄贈 
と書かれたカラーテレビの脇には『終車告知板』。
さかさまに書いてあるってことは、戦前製???
 ところ変わって、ここは盛岡バスセンター。
こちらにも多くのお客さんが出入りしていた。
 まるでデパートのような品揃え・・・
 街の中心の商店街から人影が消えた現在、
何か懐かしいような、こんな時代に戻りたいような・・・

・・・何だろう?
 バスセンターの中には時計屋さんまで・・・
手作りのクッキー・・・
さらには『スウェーデン ソフトクリーム』なるお店もあった。
ああ、こんな時代に戻りたい、
 そんな懐かしさが漂っていた。
 こんなに大きい時刻表や運賃表。
 バスはひっきりなしに発着していた・・・

 地方都市のバスセンターにも活気があった。
 バスセンター自体、15年前でさえ古く感じたが・・・
とにかく活気に溢れていた。
 バス車庫の看板にも何か誇らしさがあった。
ところ変わって、南国沖縄・那覇バスターミナル・・・
この売店にもいろいろなものが売っていた。
構内食堂で食べるゴーヤチャンプルー定食・・・
おいしゅうございました。
 またまた変わって、こんどは北海道、士別。
バスのシートが並ぶのは士別軌道の待合室。
本数こそ少ないものの、日野のモノコックから、バリバリの中古の循環バスまでが元気に走っていた。
山形、赤湯バスターミナル・・・
米沢〜山形間の特急バスが1時間ヘッドで走っていたことなど、とても想像ができなかったが、このターミナルを見たとき、往時の栄華がしのばれるような気がした。
 しかし、
既にバス路線は整理統合され、路線図も寂しい限り。
四国交通の一番奥・・・『名頃』

昔は乗客をさばく為に発車1時間前に整理券を配った。車掌さんは乗り切れない乗客のため、身体半分がドアからはみ出した状態で走っていた・・・
などどいうことを聞いてもとても信じられなかった。

 ここに入庫するバスには泊まりの仕業もあったのかな?
と考えてしまうほどの山奥。
 近年路線は廃止され、バスはここまで乗り入れなくなってしまった。
懐かしい公衆電話・・・
裏磐梯 桧原湖・・・
 山小屋をイメージしたであろうそのバスターミナルは今見ても素敵な感じがする。
 会津バス五色沼案内所・・・
そんな名前だった時代にここに来てみたかった・・・
 興部から名寄に向かう名寄本線沿いに
『田村牧場前』というバス停を見つけた。
きっと多分名寄線廃止代替バスが停まるのであろう。
 ・・・でも、周りを見回して愕然とした。
 ここには酪農農家が1軒だけ。
 しかもその農家は『離散』だった。

 離散・・・つまりこの牧場は廃業している。

・・・ということはここにバス停があっても意味がないのでは。
そして誰もいなくなった・・・


 路線バスの赤字を代替すべく地方自治体がバスセンターを建設、公営バスを始めるケースが増えている。
ここは上でご紹介した『江刺バスターミナル』の代替バスセンター。
 岩手県交通の営業所機能は『胆江営業所』に移管されたため、ここには待合室しかない。
 そこに入ってみたら、愕然とした。
 誰もいなくなっていたのである。
 あれだけ入れ替わり、立ちかわり人が出入りしていたバスターミナルだったのに、誰もいなくなってしまった・・・


 私は思った。

『ゴキブリの棲めないバスターミナルには人も来ない』

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