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『全国のボンネットバス』大集合参加車両の経歴

 2008年9月14日(日)に熊本県の山江村で開催されるイベントに参加する車両の履歴簿をご紹介します。

魚沼交通株式会社(新潟県) いすゞBX341 1959年式 
 そのバスは広島県を走るJR呉線の大乗と忠海の間の道路沿いにありました。塗装からすると元の所有者は『瀬戸内バス』です。
 
運が悪いことに道路の拡張工事に引っかかり解体される寸前まで追い込まれましたが、幸運にも福山自動車時計博物館でレストアされて甦りました。
 工場に搬送して内装をはがしてみると、ご覧のようにボロボロでした。 
 しかし、福山自動車時計博物館の優秀なスタッフの手により徐々に甦ります。
 エンジンもオーバーホールして、いよいよバスに命が吹き込まれます。
 甦った後は、山江村のバスと同じように町おこしの重役を担うべく、福山自動車時計博物館から新潟県の湯沢町にお嫁に行きました。
 写真はバスが越後湯沢町役場に到着した際の歓迎式の様子です。
 バスは一躍子どもたちの人気者になりました。
福山自動車時計博物館(広島県) 日産U690 1963年式
 オープンから20周年を迎えた福山自動車時計博物館。そこはボンネットバスの聖地としてバスファンにはよく知られています。
 そんな博物館でオープン当初から活躍を続けているのがこのボンネットバスです。
 
 明石海峡大橋やしまなみ海道の開通時には、ご覧のようなボンネットバスを連ねてパレードを行いました。
福山自動車時計博物館(広島県) 日野BA14改 1958年式
 このバスもご覧のようなボロボロの状態で博物館に持ち込まれました。うっすら残る塗装から、前所有者は『土佐電鉄(株)』であることがわかります。
 車内もご覧の通り、荒れ放題。
 床も抜けています・・・というより、下のアスファルトしか見えませんね。クラッチもありません。
 なにせ古い車は部品がありません。そのため部品取りとしてご覧のようなボンネットトラックも搬入されてきました。
 これでもバスよりずっと状態が良いですね。
 この博物館のスタッフの方が『職人技』で直してゆきます。永年ボンネットバスを見つめてきた私の厳しい目で見ても、この方の部品作りは完璧。妥協がありません。元のものに忠実な部品が、まるで魔法のようにつくりだされるのです。
 かなり仕上がってきました。
 完成はもうすぐです。
 車検を取っていよいよ完成。博物館前で記念撮影です。
『日野のボンネットバス』は数が少なくて貴重です。
 現在登録されているものはこの一台だけとなってしまいました。
 その後、かぐや姫のコンサートに貸し出されるため、イベントポスターと同色に塗装変更されて現在に至っています。
福山自動車時計博物館(広島県) トヨタDB100 1967年式
 このバスはトヨタの最終型として日本で唯一、残されているバスです。富山県の八尾温泉や、愛知県の知多バス(写真)、さらには広島県のアシナトランジット(株)などで活躍しました。現在は同博物館でリニューアルを終え、新しい塗装になっています。
やなぎや観光(香川県) いすゞBXD30 1966年式
 このバスは秘境として有名な祖谷渓谷を走る四国交通のバスとして、徳島県で活躍していました。
 ところが路線バスとしてのボンネットバスはその役目を終え、いよいよ箱型のバスと置き換える日がやってきました。
 そんなバスに小豆島の国民宿舎『やなぎや』のご主人が目をつけ、同館で送迎用のバスとして第2の人生を歩み始めたのです。
 バスは国民宿舎のお客さんを乗せて、フェリー乗り場への送迎などで活躍しました。
 ところがそんなバスに注目が集まるときがやってきました。なんと!!映画に出演したのです。
 小豆島といえば『二十四の瞳』・・・その映画に出演したバスは映画撮影が終わった後、その塗装のまま映画村と村の分教場を結ぶ無料送迎バスとして人気を集めています。(運行日限定です。)
 バスは現在緑ナンバーを取得し、『やなぎや観光(株)』のバスとして貸し切り運行も可能です。よく見るとナンバープレートも・・・『24』
技研製作所(高知県) トヨタDB90 1964年式
 このバスは山江村のバスと同じ『元 九州産業交通』の路線バスでした。
 同社は昭和53年までボンネットバスの運行を続けていたため全国的にも注目された存在で、当時はバスの音を録音したLPレコードまで発売されたくらいなんです。
 そんな人気に、バスは廃車後も引き合いが多かったようで、運良く埼玉県の観光施設にもらわれてゆきました。現在もその施設はあるのですが、バスはいつの日か使われなくなり、かぼちゃ畑の片隅でひっそりと過ごす日々が続いていました。
 それを甦らせてくれたのが、この技研製作所の北村社長さん。本業は他者にはまねのできない土木機械『サイレンとパイラー』の開発・販売と工事施工です。
 一般の企業なので普段はこのバスを見ることができませんから、ぜひこのイベントでじっくりと見てください。
技研製作所(高知県) 日産U592 1959年式
 このバスは日本で最後の清涼として有名な四万十川沿いの小道に置かれていました。沈下橋で有名な四万十川のことですから、氾濫することも多く、その度ごとにこのバスはエンジンをかけて小高い丘まで登り、水難を免れていたようです。
 ところが、年月がたつとこのバスも放置されることとなり、水没を繰り返しました。
 水没=腐食 を意味しますから、レストアのため工場に持ち込まれたときには、このバスもボロボロでした。
 レストア当時、同社でバス再生を担当していたK係長(当時)さんは、いつもこう言っておられました。
 『もうどうやって直したらいいかわからないから、バスが嫌いになった。毎朝、通勤途中で前から路線バスがやってくると嫌で嫌でしょうがなかった・・・』と。
 でも、努力は報われるものです。バスは一進一退を繰り返しながら完成し、車検も取得したのです。
 今月、久しぶりにK課長(現在)さんを高知に訪ね、お話を伺ってみました・・・
 『バスは、まだ嫌いですか???』
すると、
 『今はもう、どうってことはないですね。でも、あの時はよく頑張りましたよ。』
 バスにつけられている、『四万夢太(しまむた)号』とは、K課長さんが付けた名前で、四万十川に由来したものなのです。
 ボンネットバスは一躍脚光を浴び、高速道路の開通式でもパレードを行いました。
九州自動車歴史館(大分県) いすゞBXD20 1967年式
 このバスは石川県の北陸鉄道で活躍したバスです。当初は霊峰白山の登山バスとして登山客を運んでいました。
 その後、役目を終えたバスは白山の麓の白峰村(白峰村開発公社)で宿泊施設の送迎バスとして使われていました。
 送迎バスとしての使命を終えたバスははるばる海を越えて由布院にある『九州自動車歴史館』に譲られました。
 そこでフロントマスクの改造を受け、昔懐かしいスタイルになりました。
 バスはここでずっと展示されていました。
 由布院には『湯平温泉』があり、温泉活性化の柱としてボンネットバスの運行を考えた方がいらっしゃいました。
・・・湯平温泉で旅館を経営しているNさんです。
 Nさんは熱意を持って県や地元、さらにはバス会社との交渉を続け、ボンネットバスに命を吹き込むことに成功したのです。バスは緑ナンバーを取得し、JR由布院駅と湯平温泉の間を走り始めました。(運行期間限定)
 Nさんの熱意に、地元温泉街だけでなく県も市長さんも動きました。このテープカットはNさんの熱意が実った瞬間です!!
 バスは由布岳を望みながら、トコトコ走ります。
 終点は湯平温泉。石畳の坂道と昔ながらのバス車庫が訪れた人を遠い昔にタイムスリップさせてくれます。
 今年の秋も僅かながらこのバスは走るようです。また、来年度以降はさらに大きな計画が・・・大いに期待したいものです。
 また湯平温泉の湯につかるのも、楽しみ、楽しみ。
山江村(熊本県) いすゞBXD30 1964年式
 いよいよ最後は今回のイベントの主役、山江村のボンネットバスです。このバスは、元九州産業交通のボンネットバスで、廃車後はご覧のように屋根を付けた状態で保存されていました。
 バスは注目を浴びることもなく、ひっそりとたたずんでいました。たしか、そばに動物の小屋があったような気がします。
 技研製作所の元九州産業交通のボンネットバスがそうだったように、このバスも廃車直後は注目を浴びたのでしょうが、その後は皆に忘れられていました。
 でも、山江村の皆さんは違いました。ボンネットバスに注目し、村おこしの起爆剤として活用を始めたのです。バスはきれいにレストアされ、『マロン号』と名づけられました。
 イベントに行ったり、テレビに出演したり・・・
忙しい日々が続いています。
 今回のイベントは9台のボンネットバスが集合するという大イベントになりました。その根底にあるものはなんと行っても村長さんと村役場の皆様の熱意です。その情熱が実って開催される14日のイベントはきっと素晴らしいものとなることでしょう。

 そして新しい、121年目の山江村が始まります。
現在も残る もう1台の元九州産業交通のボンネットバス
 当日は別のイベント参加のため欠席しますが、世の中にはあと1台の元九州産業交通のボンネットバスが残存しています。写真はそのバスが福山自動車時計博物館にて収蔵されているときに撮影したものです。

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